2007年09月06日

代表は悩む

孤立した優れた人物は社会を動かすことができない。
優れた少数は凡庸な多数を圧倒して衆論を形成できる。
個人が優れていても、結合しなれば力にならない。

福沢諭吉先生のお言葉です

三田論が本格的に再会してもうすぐ1週間。最近は具体的な研究領域や研究対象、仮説設定についての議論が行われるようになってきて、やっと楽しく思えるようになってきました(知的に楽しいという意味で。気ィ抜いたら議論から置いていかれそうになるのを必死こいてこらえる、アノ感覚を久々に経験してます。うおー俺ついていけてねぇー!みたいな笑)

でもこの楽しさには原因があって。

頭の切れる奴を集めて論理構成や研究スケジュールについて考えて、そこで生まれたアイデアや研究方法にゼミ員の了解を(ほぼ儀式的に)とった上でみんなに動いてもらうという方法で最近の論文執筆は進められていて。

上の福沢諭吉の言葉は7月の頭に新聞でたまたま読んで、そのときは「確かに論文執筆を進めるにあたってそっちの方が効率的だし良い論文ができるのかもしれないけど、今回の論文執筆で求められているのはそういうことじゃなくて全員が全力で参加することだし、そうさせるようにがんばることが俺の使命でありそれが俺を磨くんだ」、なんて思ってたんだけど。

2ヵ月経って改めて読んでみたら、最近考えてることとほとんど同じことが書いてあってびっくりした。つまり、デキる(というか意識が高い、かな)やつだけ集めて論文を進めてしまえ、って考え方をするようになってきてしまってるってこと。もちろん他の同僚の意見をシャットアウトする気は毛頭ないんだけど、こちらから働きかけないと意見を拾うことがなかなかできないので、「働きかけを行わない」ことが結果的に首脳陣による意思決定システムを生み出してしまっている。

これが上に書いた「楽しさ」の原因。

首脳陣だけで意思決定を行ってしまうのは、首脳陣からすれば濃い議論ができるわけだから効率的だし、楽しいだろうけど、それじゃあはっきり言って俺が嫌になった作法と何ら変わりがなくなっちゃう。

「うちら首脳陣が研究の方向性については責任もって意思決定するから、お前ら部下は当事者意識を忘れないで資料読み込んでまとめて発表しろよ」なんて言うのは
「仕事の運営については我々リーダーが責任をもって進めていくので、平のチェアパはプロ意識を忘れることなく仕事を遂行してください」なんて言うのとなんら変わりない。

そんなことされたら嫌だなって思うのはもう知ってる。そんなことをするから同僚の当事者意識やプロ意識なんてものはますますなくなるんだ。そしてそれの対応策として首脳陣はますます中央集権的になって、それが組織に嫌気がする同僚を増やして組織の作業効率はまた落ちていく。

そんなことは絶対にやりたくない

もちろんリーダーだけじゃなくて、やるべきときにしっかりやらない同僚や、時にはがんばれないような環境が質の低い議論の原因になるときは往々にしてあるのだろうけれど、「やっぱりがんばってみよう!」と思わせることのできるリーダーに、なってみたい。

たぶん リーダーはそこまで偉い存在じゃない。
posted by アキトモ at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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